首里城の色|「琉球の赤」はどう蘇ったか
首里城の第一印象は、誰にとってもあの赤でしょう。でも「首里城の赤って、どんな赤?」と聞かれて答えられる人は多くありません。実はあの色、令和の復元でとことんこだわり抜かれた色なのです。
「琉球の赤」は名護の土から生まれた
復元された正殿の外壁に使われたのは、**久志間切弁柄(くしまぎりべんがら)**という天然顔料。「久志間切」は現在の名護市域にあたる王国時代の地名で、史料にこの地の弁柄を首里城に用いたという記録が残っています。水中の鉄分(鉄バクテリア)に由来するとみられる、沖縄の土地そのものから生まれた赤です。
平成の復元(1992年)では再現が難しかったこの**「琉球の赤」**を、令和の復元では史料研究を重ねて蘇らせました。つまり2026年に公開される正殿の色は、平成の正殿よりも一歩「本物」に近い——見比べられた人だけが知る違いです。
漆、24工程
色をまとうのは顔料だけではありません。正殿の塗装は漆。2023年9月から始まった漆塗りは、下地から上塗りまで24もの工程を重ね、黒漆の層の上に弁柄の赤が施されました。
正面の向拝柱(こうはいばしら)には、金箔と顔料を使った**「金龍五色雲」**の極彩色が施されています。朱一色に見える正殿は、近づくほど金と五色の細部が現れる——職人と技の読みものとあわせて、ぜひ間近で確かめてください。
屋根の赤——約6万枚の赤瓦
正殿の屋根には約6万枚の赤瓦が葺かれました(2024年9月時点の報道による)。沖縄の赤瓦の赤は、島の土(クチャなど)を焼いた素朴な赤。首里の城下、金城町石畳道沿いの赤瓦屋根の家並みと同じ系譜の色です。城と城下町が同じ色をまとっている——首里の風景の統一感は、この「土の赤」が作っています。
ところで——昔の瓦は灰色だった?
ここでひとつ、意外な話を。実は「王国時代の首里城の瓦は何色だったか」は、研究者の間で議論が続いてきたテーマです。古い時代には灰色(黒っぽい)瓦が使われていた時期があるとする研究もあり、「首里城=赤瓦」のイメージがいつ確立したのかは、そう単純ではありません。
復元は、その時代その時代の研究の到達点を形にしたもの。いま私たちが見る赤も「最終回答」ではなく、研究とともに更新されていく途中の姿なのです。復元をめぐるこういう議論の存在ごと楽しめると、首里城観光は一段深くなります。
色を楽しむ観覧のヒント
- 晴れの日の午前は赤が最も鮮やか。写真狙いなら朝イチがおすすめです(写真スポットガイド)
- 正殿に近づいたら、壁の赤・漆の艶・金龍五色雲の三段構えを順に見る
- 帰り道は石畳道で城下の赤瓦と見比べる。「城の赤」と「暮らしの赤」のグラデーションが首里の色彩です
- 火災で失われる前の色、蘇った色の物語は火災と復興の読みものへ
「できたての琉球の赤」を見られるのは、経年変化が始まる前のいまだけ。色が落ち着いていく過程も含めて、これからの首里城の楽しみです。
※本記事は首里城公園公式サイト・報道等の公開情報をもとにまとめたものです(情報確認日:2026年7月21日)。
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