首里と沖縄戦の記憶|地下に眠る第32軍司令部壕のこと
再建された朱の正殿を楽しんだあと、少しだけ、この土地のもうひとつの歴史に心を向けてみませんか。首里城の地下には、沖縄戦の記憶が眠っています。
首里が戦場になった日
1944年、日本軍第32軍は首里城の地下に司令部壕を構築しました。琉球王国の象徴だった丘は、沖縄防衛の司令部の真上になったのです。
1945年の沖縄戦で、首里は日米両軍の激戦地となりました。司令部を叩くための猛烈な砲爆撃により、首里城も、城下の町並みも、ことごとく破壊されます。5月末に日本軍が司令部を南部へ撤退させたのち、首里の丘に残ったのは、瓦礫と焼けた石垣だけでした。いま私たちが歩く首里のまちは、その焦土から住民たちが築き直したものです。
第32軍司令部壕の現在
司令部壕は総延長1km前後に及ぶとされる地下壕で、現在は崩落の危険などのため内部は非公開です。近年、沖縄県によって保存・公開に向けた調査や検討が進められており、将来的に一部を見学できるようになる可能性があります(状況は変わるため、最新は県の公式発表をご確認ください)。
首里城公園の周辺には壕の坑口跡を示す場所や説明板があり、地上からその存在を知ることができます。
「二つの歴史」を重ねて歩く
首里城の魅力は、華やかな王国の歴史だけではありません。
- 玉陵や旧城下の石垣に残る弾痕・修復痕 — 玉陵の被害と修復の歴史は、展示室でも紹介されています。
- 金城町石畳道 — 全長10kmあった真珠道が約300mしか残っていないのは、沖縄戦と戦後の開発によるものです。
- 首里城そのもの — 1945年の焼失と1992年の復元、2019年の火災と2026年の再建。この城は「失われては、取り戻す」を繰り返してきました。
王国の栄華と戦争の惨禍、その両方の上に今の首里がある——そう知って歩くと、再建された正殿の朱色は、いっそう尊く見えるはずです。
平和学習で訪れる方へ
- 首里城公園とあわせて、県内の平和学習施設(沖縄県平和祈念資料館・ひめゆり平和祈念資料館など、いずれも南部)を組み合わせる学校・団体が多くあります。
- 壕の坑口周辺や慰霊の場では、静かな態度でお願いします。
- 子どもたちには「なぜ首里城は何度も建て直されたのか」という問いから入ると、王国史と戦争史の両方に自然につながります。
※本記事は公開情報をもとにまとめたものです(情報確認日:2026年7月21日)。司令部壕の公開状況は変わる可能性があるため、最新情報は沖縄県の公式発表をご確認ください。
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