首里城の歴史と再建の歩み|焼失から2026年の正殿公開まで

更新日: 2026-07-21

2026年11月23日、首里城正殿がふたたび公開されます。この日を何倍も楽しむために、首里城がたどってきた「焼失と再建」の歴史を、やさしく振り返ってみましょう。

琉球王国の王城として

首里城の正確な創建年はわかっていませんが、14世紀末ごろには城として使われていたと考えられています。1429年に尚巴志(しょうはし)が三山(北山・中山・南山)を統一して琉球王国が成立すると、首里城はその王城となり、以後約450年にわたって琉球の政治・外交・文化の中心であり続けました。

中国からの使節「冊封使(さっぽうし)」を迎える儀式、日本や東南アジアとの交易、そして芸能や工芸——琉球が「万国津梁(ばんこくしんりょう)=世界の架け橋」と呼ばれた時代の記憶が、この丘の上に積み重なっています。

何度も焼け、何度も建て直された城

あまり知られていませんが、首里城は歴史上、何度も焼失しています。1453年には王位継承をめぐる内乱(志魯・布里の乱)で全焼。1660年、1709年にも火災で焼け、そのたびに琉球の人々は城を建て直してきました。

1879年、琉球処分によって琉球王国は幕を閉じ、首里城は王城としての役割を終えます。その後は日本軍の駐屯地や学校などに使われて荒廃が進みましたが、1925年に正殿が特別保護建造物(のちの旧国宝)に指定され、昭和初期には大規模な修理も行われました。

沖縄戦での焼失と、戦後の再出発

1945年の沖縄戦で、首里城は徹底的に破壊されます。城の地下に日本軍第32軍の司令部壕が置かれたため、一帯は米軍の集中砲火を浴び、建物はすべて失われました。

戦後、城跡には琉球大学のキャンパスが置かれ、首里城は長らく「記憶の中の城」になります。転機は大学の移転後。1980年代から国営公園として復元整備が始まり、1992(平成4)年、沖縄の本土復帰20周年にあわせて正殿などが復元され、首里城公園が開園しました。

2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として、首里城跡が世界遺産に登録されます。登録されたのは復元建物ではなく、地下に残る本物の遺構です。同じ年、九州・沖縄サミットの晩餐会が首里城で開かれ、復元された首里城は沖縄の象徴として世界に発信されました。

2019年10月31日 ― 令和の焼失

2019年10月31日の未明、首里城から火の手が上がりました。火は正殿・北殿・南殿など主要な建物を焼き、多くの収蔵品も失われました。「首里城が燃えている」——その映像は沖縄中、日本中に衝撃を与え、その日のうちに再建を願う声と支援が沸き起こりました。

「見せる復興」から2026年の公開へ

復元工事は2022年に正殿の本体工事が始まり、「見せる復興」をテーマに、素屋根の見学エリアから作業の様子が公開されてきました。木材の調達から瓦の赤、彩色の技法まで、前回(平成)の復元の経験と新しい調査研究を活かした再建が進められています。

そして2026年11月22日に完成式、翌23日から正殿の供用(一般公開)が始まります。歴史上5度目の再建をとげた正殿を見られる、まさに歴史の節目です。

公開日・予約・チケットの最新情報は首里城正殿公開の特集ページにまとめています。実際に訪れる際のモデルコースは半日モデルコースをどうぞ。

年表:首里城のあゆみ

できごと
14世紀末ごろこのころ首里城が使われ始める
1429年尚巴志が三山を統一、琉球王国成立。首里城が王城に
1453年志魯・布里の乱で焼失(1度目)→再建
1660年・1709年火災で焼失(2・3度目)→そのたび再建
1879年琉球処分。王城としての役割を終える
1925年正殿が特別保護建造物(旧国宝)に指定
1945年沖縄戦で焼失(4度目)
1992年正殿などを復元、首里城公園開園
2000年首里城跡が世界遺産に。沖縄サミット晩餐会
2019年10月31日火災により正殿など焼失(5度目)
2022年正殿の復元工事が本格化(見せる復興)
2026年11月23日正殿の供用開始(一般公開)

※本記事は公開情報をもとに運営者がまとめたものです(情報確認日:2026年7月21日)。

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